何歳になっても人は変わることはできる
子育てがひと段落した40代の頃に、私はさかえやでパートとして働かせてもらいました。さかえやは若い子が多く、私にとっては子供が沢山できたという印象でした。私は責任のある立場や仕事よりも、パートでお気楽に仕事がやれるという、そんな環境が好きでした。しかし、そんな思いがある中で社長から正社員にならないかというお話を頂きました。年齢もあり社員としてやっていける自信が持てなかったので、
「私は無理ですよ」
と断りました。
しかし、社長は私に何度も是非社員になってほしいと頼んできました。学生の頃から勉強にほとんど興味がなくて知識もない私でしたし、テストも一夜漬けで勉強していたくらいの私は、社員としてやっていけないと思いました。さらに年齢もあり、とても自信が持てませんでした。すると、社員の方達から「社員になってくれない?」と何人も声をかけてくれて、初めは冗談だと思っていましたが、みんなが本気で言ってきてくれたのです。年齢的にもこの先社員になることはないだろうと思い、私は社員になることを決めました。
社員としてやっていくと決めてからは私に沢山の試練が次々と起こります。温泉街の方たちとの英語の勉強会、数字を使った経営研修、パソコンを毎日打つこと、ハガキを書くこと、素手でトイレ掃除など、その度に心が折れそうになったり、めげそうになったり、何度もくじけそうになった事がありました。パソコンも触った事がなかったので、3行くらい打つのに30分もかかるほどでした。数字を使った経営研修では訳が分からない状態で、数字も全く合わず、社員になったことを何度も後悔しました。
そんな私でしたが、やっていくうちにパソコンも指一本でしたが、少しずつ使えるようにもなりました。ハガキも書くこともなかったのですが、仲間から頂く事で自分でも5年以上は毎日ハガキを書くことを続ける事ができました。ボランティア、トイレ掃除なども初めてやらせてもらい、とても気持ちの良い事を学びました。
なぜ、それができたのかと振り返ると、それはいつも一緒にやってくれる仲間がいてくれたからでした。色んな事を教えてくれたり、考えさせてくれたり、いつも支えてくれていたからこそ今があり、苦労を乗り越え、自分と向き合ってこれたのだと思います。この年齢で学ぶ事ができた事は、さかえやだったからできたし、自信に繋がっていきました。やればできるの気持ちをどこかにおきながら過ごしているうちに、あっという間に10年以上の月日が過ぎました。
今では、部署のマネージャーになったり、支配人として責任者のお仕事もやらせていただいたり、昔の自分では絶対に考えられないことばかりです。
人にやさしく、自分を活かし、チャレンジすることを学ばせてもらい、不安が少しずつ自信に変わったのを覚えています。自分の行動や気持ち次第で変われるんだと思いました。仲間と旅行に行ったり、イベントをしたり、私の年齢でこんな沢山の思い出が作れる会社にいれる事で私の人生も本当に豊かになったと思います。
人生、やってみないと分かりません
また、やったことしか分かりません
水澤富枝
【プロフィール】
長野県下高井郡山ノ内町 出身
2012年入社
座右の銘: やればできる
特技: 運動