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店をたたんで、一から出直し

山本 陽介


(やまもと ようすけ)

私は東京の小料理屋さんで、20歳から料理の修行をしていました。24歳の時に父に大腸癌が見つかり、実家で経営していた一般食料品店を継ぐ事になりました。仕出し料理も出していたので料理の修行をしていて本当に良かったと思いましたが、経営の事を全く知らないまま社長になり、5年程なんとかやりくりしていましたが資金繰りが厳しくなりました。

そして2012年の11月には、親から受け継いだ一般食料品店をたたむか、借金して継続していくかの瀬戸際にいました。心配で眠れない日々が続きました。2日後には借入の段取りが出来ていて、借金が出来る手はずになっていた時に、それでもと思い、研修で知り合ったさかえやの湯本社長に相談しました。湯本社長は研修の先生だった杉井先生を紹介してくださいました。

その時に、このまま続けても、楽になる見込みより、もっと大変になること、今なら借金も残るが、決して返していけない金額でもないことを知り、お店をたたむことに決めました。

しかし、どう清算したらよいのかもわからず、店を清算することに不安で一杯でしたが、その先生からは「誠実に対応すれば何でもない」と励ましていただき、債務者の方にも理解していただいて商売をたたむことができました。今あの時借入して借金を重ねていたと思うとゾッとします。しかもその後、仕事が無くなった私と妻をさかえやに就職できるように、湯本社長とも相談して、配慮していただきました。本当にありがたかったです。

しかし、さかえやに入って自分の仕事の出来なさにショックを受けました。ご飯も喉を通らなくて入社して半年で15キロ体重が減りました。トイレ掃除に学ぶ会でも、自分の観察力のなさに気が付かされました。擦っているタイルの20cmぐらい上の汚れに気が付けないのです。確かに目は見えているのに、何も見ていないと同じなのです!それから毎日、さかえやさんの館内を掃除し、汚れやズレに気付くトレーニングをしました。

また、湯本社長のすすめでCL前期講座を受けさせていただきました。初めて内観をして、今まで親にしていただいたことやご迷惑をおかけしたことが山ほどあることに気付きました。反面、自分が親や仲間にして差し上げた事の少なさに驚きました。

そして、入社して2年が経とうとしていたころ、自営業の時の借金を完済する事が出来ました。仕事の出来ない私を見捨てる事なく育て指導してくれた料理長や社長の優しさに目頭が熱くなり涙をこぼしたのを覚えています。完済後にこれまで頑張っきたご褒美に初めて母と妻と子供を連れて新潟の旅館に家族旅行に行く事が出来ました。これまで僕を支えてくれた家族に感謝を伝え夕食の時に子供が、喜びの舞を踊っていたのが涙が出るほど嬉しかったです。

それから、料理長監修の元、私の献立作りが始まりました。今まで自営での10年間は仕出しのオードブルやパックの料理を作っていた自分が、旅館の懐石料理の献立を作るのですから並大抵のことではありませんでした。本やネット、さかえやでは今までどんな料理が出ていたのか調べ試作と試食を重ねて初めて採用して頂いた時の喜びは一生忘れないと思います。そして、丁度入社して3年が経とうとしている時に12月から料理長をやってみないかと社長からお話を頂き不安と喜びが混じり合った気持ちの中、夢であった料理長に就任することが出来ました。休日に母がランチに行こうと誘ってくれて着いた先がうなぎ屋さんで就任祝いをしてもらい嬉しくて母と涙を流しながら食べました。

そして第2回旅館甲子園でさかえやがファイナリストに選ばれ、私は大喜利の司会者をやることになり、ネタ作りを頑張りました。

東京ビッグサイトでの本番の日、不安で泣き出すスタッフや、呆然と外を見ているスタッフなど緊張感が最高潮に達していました。最後の出番だったさかえやは社長のオープニングから始まり一人一人バトンが渡されてもうじき大喜利の出番の時に出演者がみんな感動で大泣きしていました。私はこれで会場を笑顔にできるのか心配していましたが、暗転から顔を上げる仲間の顔は笑顔で5秒前まで泣いていたとは到底思えませんでした。練習通りテンポ良く大喜利を終え、後半のスピーチに入り、ステージ裏では自分達にしか分からない日本一の感動がありました。そして発表の瞬間、渋温泉春蘭の宿さかえやと言われた途端にスタッフ全員が抱き合い喜びを分かち合いました。

今、私はさかえやの料理長をさせていただくまでになりました。旅館甲子園で、さかえやの注目度が上がり、日本一の宿と思って来てくれるお客様も多く、期待値が上がって社長と二人三脚で料理作りに力を入れています。さかえやで推進しているハガキは5年間毎日書き続ける事が出来ました。今までこんなに一つのことを続たことは有りません。仕出し屋をたたみ、家族を路頭に迷わせることなく、借金を完済でき、また日本一の旅館で料理長にもなり、365日休みもなく、苦労して働いていた時には、想像もつかない人生ですが、その転機がまさに「ご縁」だったと思います。これからの人生では、引き続きご縁を大切にしながら、こうしたコツコツとした努力を積み重ねて、謙虚な姿勢て学び行動して行きたいと思います。

誠実さ、謙虚さの大事さを学ばせていただきました。

山本 陽介
  • プロフィール
    • 長野県山ノ内町出身
    • 平成24年入社
    • 座右の銘
   

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